英語嫌いが治り、英語世界が頭の中にできてくると、その分だけヒアリングができるようになります。
英語が苦手と言っても、「ハロー」とか「サンキュー」なら、聞こえるし話せますよね?
日本語訳しなくても、そのまま自分の単語になっている英語なら、ちゃんと聞こえるのです。

ちゃんと聞こえる? ヒアリング

英語って、どうしてああも何言ってんだか分からないのでしょう?

テレビの副音声で英語にしてみたとき、ボリュームをぐいっと上げても聞こえません。何てことはないことをゆっくり言ってもらっても、分かりません。でも、聞こえるものもあります。その違いはどこから来るのでしょうか?

英語で何か言ってるよ

英語学習者なら誰でもガクゼンとするのは、英語圏のドラマやニュース、映画を生(なま、つまり字幕もなし)で見たときでしょう。「こうも、何言ってんだかわかんないものかな?」と。

話し手の滑舌(かつぜつ)が悪いんだろうとタカをくくってみますが、登場人物たちは何の問題もなく会話を続けるので、大いに焦ります。

筆者(ヤスヤス)もそうでした。NHKラジオ講座をテープに録り、そのセリフを書き起こすという練習をしていたのですが、もうボリュームはギンギン。それでも聞こえません。巻き戻しては再生という作業をしつこく繰り返したため、何台ものラジカセをつぶしました。

はっきり発音しないし、早口だし、「こんなんでコミュニケーションと言えるのですかっ、ちゃんとしなさい!」と声を荒げたかったのですが、テレビやテープ相手では虚しいだけです。

Hearingに関しては、完全なる反米主義になりました。

今まで触れたことのあるフランス語、イタリア語では、こんなに聞こえないということはありませんでした。英語、特にアメリカ英語は、まったく不可解です。

人類として、同じ耳の構造を持っているはずなのに。はてな?

気付きのとき、再び

すっきりと聞こえないことに対するイライラを抱えたまま(あまり直視しないようにして)、数年間、英語みちを歩き続けました。「日本語は介在させず、英語toイメージで、英語世界を脳内に作り上げる」という作業です。「オレ? 英語できるよ」って態度で。ま、結局楽しいことだけをしていたのです。

すると、ここ(Hearing)でも変化がありました。徐々にですが、聞こえるようになってきたのです。もちろん完璧ではありませんが、聞こえるパーセンテージが着実に大きくなってきたのです。

「おや?」と思いました。失敗から学ぶことも多いですが、成功から学ぶことの方が、大抵は多いようです。さてさて、何を学んだのでしょうか?

具体的には二つあります。一つ目の鍵は、やはり「英語世界」です。そして二つ目は「アクセント」。

英語世界にあるものなら「聞こえる」

筆者(ヤスヤス)も、HearingにはまたHearing用の特別な能力が必要なのだと考えていました。だから、いつかそれ用の勉強もしてやろうと身構えていました。

ところが、徐々に英語世界が大きくなってくると、ちょうどその分だけ、聞こえてくるようになったのです。

英語が聞こえないと言っても、「Thank you.」とか「Hello.」とか、もう日本語になっているような単語なら、聞こえます。そこに「周波数の違い」もへったくれもありません。つまり悪いのは「耳」じゃないんです。「脳」なんです。

「脳が悪い」というと、えらく侮辱されたような気にもなりますが、ここで言う「脳」とは、つまり「英語世界ができていない」ということです。英語が、英語そのものとして世界を構築していないため、聞こえないのです。

英語でベラベラ何か言っているところで、そんなに難しいことを言ってやしません。言ったところで、どうせ「Geez, it stinks in here.(うへ、なんか匂うぜ、ここ)」程度のことです。日本語と変わりません。

そんなのが、ついていかれないほどに早口に聞こえるのは、「stink」が自分のものになっていないからです。いわゆる「勉強」って奴で、「stink=(日本語で)[動詞]嫌な匂いを放つ」なんて覚えていたら、文章なら訳せるかも知れませんが、Hearingにはついていかれません。

「stink」はあくまでも「(英語のまま)stink」なのです。「stink=(イメージで)むわっと悪臭が匂い立っている感じ」です。「it stinks」と言われた途端に、むわっと感じることが必要なのです。

逆に言えば、本当に英語のままに自分のものとなっているものが多ければ、「Thank you.」や「Hello.」レベルで聞こえるものも多くなるということです。

そうなるともう「聞こえない方が不思議」なんて無責任な態度だって取れます。「だって、そう言ってんじゃん」なんて(友達に嫌われないように)。

アクセントはかなり「偉い」

日本語の発音において、最も大切なのは「滑舌」ですね。「えっ、何?」って聞き返されたら、ぼくらはゆっくり、そして「はっきり」発音し直します。「子音+母音」の子音の部分を強調し、単語を構成している一つ一つの音をゆっくりと区切ります。

ところが英単語は、なんと「いくつかの音によって組み立てられているもの」ではなく、「それで一つの音」なのです。「サ」と「ム」で「サム」とは捉えていないのです。「some」という一つの音なのです。それがかなり長くなっても、やっぱり一つの音です。

だから英語でslowlyに話してもらっても、一つの単語をちょっと伸ばして言うだけで、一音一音区切ったりしないのです。

「フ、エ、ア、イ、ズ、ア、ス、テ、イ、ショ、ン」と言ってくれれば一発で分かるのに、あくまでも「フエア~、イ~ズ、ア、ステーイション」です(AFNでよく聞くCMです)。

彼らにとって「where」も「station」も一つの音であり、区切ったり出来るものではないのです。

このことは、かなりびっくりさせられますが、向こうの音楽(ラップやロック)が格好良くて、日本語のそれがどうにも間が抜けがちな理由が分かります。英語では一つのbeatに、一つの単語をそのまま乗せられるのです(一つの音ですから)。

さて、何かもがすべて「一音」だとすると、日本語に比べてそれだけ情報量が減ります。

日本語では「バニラ」と「チョコレート」では音の数が違うのに、英語では「vanilla」も「chocolate」も一音で同じです。

その情報量の不足を、英語ではアクセントで補います。英語にとってアクセントは、とても大事な情報なのです。ほとんどその単語の骨格をなすと言ってもいいでしょう。

だから「さっきから『バ、ニ、ラ』だって言ってんだろっ!」と滑舌良く怒っても、アクセントが違えば通じないのです。「vani*lla」であり「cho*colate」であることは、もう絶対動かせないことなのです(*の前の母音にアクセント)。

つまり、何が間違ってたの?

ちょうど上の2つの裏返しになります。かつての筆者と同じように、ほとんどの人がこの間違いに気付いていないことでしょう。

  • ヒアリングは「耳の練習」だと思っている。
  • 英語の音の成り立ちは、日本語のそれとはまったく違うことを認識していない。

ビカビカ、ゴゴーン! 出ました。覚醒です。これでまた、すべてが変わります。

英語に対する態度も変わりますし、友達からも「なんかアイツ、爽やかになったよな」と評されるようになります。片想いのあの子/あの人も、きっと…(そこまで期待してはいけません)。

ヒアリングの練習だなんて、別個の教材を持ち出して、大げさにヘッドセットなんて付けさせられるから、誤解してしまうんです。ぼくらも「何かカッコイイぜ」なんて乗ってしまうからいけません。

音の成り立ちがまったく違っていることを認識しないまま、じっと耳を澄ませたところで成長しません。日本語の音からこぼれてしまう英語の音は、いつまで経っても聞こえてきませんし、自分のものになりません。

方向性を定めよう

間違いに気付いたところで、改めて方向性を定めてみましょう。ヒアリングと言っても、今までと変わるところはありません。

「英語を英語のまま(日本語を介在させず)に捉え、脳の中に英語世界を作り上げるようにする」

ということは、特にヒアリングに関して、次のように具体化できます。
1.「耳」を鍛えようとするのではなく、一つでも多くの単語、フレーズを自分の英語世界に構築していくことを目標とする。
2.英語の音の成り立ちが、日本語とまったく違うことを認識し、日本語の音で解釈せず、英語の音のまま取り入れる。

じゃあ具体的な身の構え方は?

オーケー。こうして、方向性は見えました。方向性さえ間違わなければ、いつかはゴールにたどり着きます。でも、どうせなら、やっぱり早く着きたい。

次のページでは、筆者ヤスヤスがたいへん遠回りしたあげく、振り返って「ああ、これこそが道だろう。どうして誰も教えてくれなかったの?」というヒアリング練習法を具体的にしていきます。上記、方向性からも分かるように、世間一般に当たり前とされているヒアリングの練習とは、だいぶ違います。(注:現在、執筆中)


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