TOEIC対策だって!?

ゴールの設定(例えばTOEIC満点とか)が間違ってるのかも知れないって、考えたことありますか? ぼくらは「英語をモノにする=勉強」だって、どうして思い込んでしまっているのでしょう。

英語は勉強だという洗脳

さて、ぼくらは教科書を渡されたその瞬間から「英語は勉強するもんだ」という洗脳にさらされてきました。文章を読めば、和訳。構文があれば、並べ替え。一年もかけて、ペラペラの教科書を学び、出てくる英文をこれでもかとこねくり回します。

「英語が読めたりしたら、カッコイイなあ」なんて素直な憧れは、教師の「フフフ、語学をなめるなよ」という陰気なほくそ笑みと、受験における「点数をつけるための英語」という位置付けのために、吹き飛ばされてしまいます。

教師が「なめるなよ」と威張るのも、分からなくはありません。彼、彼女自身、いまだに英文を楽しむことができないのですから。一流の教育を受けた教師ができないことを中学生、高校生が憧れること自体おこがましい、というわけです。この辺のキビは、筆者もかつて進学塾で講師をしていたから分かります。

「なんか変だなあ」という疑問を感じても、まわりがみんな「これが当たり前なのだ」という態度でいるので、「そっか」なんて引いてしまいます。こうやって、英語は「勉強するもの」(=学問)に成り上がります。頭(ず)が高い!

英語って学問なの?

英語を学問として捉える人もいます。でも本来なら、それは特殊な場合ですよね(学者とか)。ぼくらは英語を使いたいんであって、研究したいわけじゃない。そういうぼくらがどうして学問として捉えなくてはいけないのか。(学問というと大仰になるけど、つまり「勉強」の対象とすること)

英語を自由に使いたいという人にとって、英語は学問なんかじゃないはずです。そこんところが間違っているから、なんだか余計にくたびれるんです。

学問というより、スポーツに近いんじゃない?

たとえばサッカーだって「勉強」しようと思えばできます。いつかJリーガーと対等に試合ができるようになるために、教室で戦法や正しい蹴り方を学びましょう、と。
「この場合、どこに蹴るのが正しいですか?」
「そうですね。バックパスもいいですけど、ヨーロッパではブーイングを浴びてしまいます。ここは試験に出ますから、よく覚えておきましょう」

実際にサッカーを楽しめるようになるか、などはこの際問題ではなくなります。だって、サッカーは勉強するためにあるんですから。

そうやって勉強して、いつかサッカーがうまくなりますか? サッカーが好きになりますか? グランドに出ても、余計な「こうすべき」に邪魔されて、自然に動けないと思います。第一、いきなり「Jリーガーと対等」を目標にすることが間違ってますよね? まずは「パスとドリブルができるように」という目標をあげるべきです。

「サッカー」とすると、すぐに分かるこの非常識を、なぜか英語では平気でしてるんです。「いつかネイティブと対等に渡り合えるよう、教室で文法や正しい構文を学びましょう」と。そんなの全然おかしいです。ナンセンスです。

TOEIC満点という新たなる目標

社会人になると、新たなる目標が設定されます。「TOEICで高得点を取る」ことです。これがまたズレているから、本当にぼくらは不幸です。

Test of English for International Communication なんて大義名分に踊らされて、「TOEICという試験こそ英語学習の目標にふさわしいのだ」と思い込んでしまいます。こいつで少々儲けてやろう…と手ぐすね引いて待っている商売人たちが、ことあるごとに吹き込むので、いよいよ信じ切ってしまいます。

受験勉強がTOEIC用の試験勉強に変わっただけで、結局「勉強」しちゃうんですから同じです。いつまで経ってもゲームを始めないので、いつまで経ってもサッカーが出来るようになりません。

「勉強」の何がそんなに悪いのか?

もう少し科学的に、最先端的に迫りますと、「勉強すること」によって何か別の大事な回路が閉じてしまうのです。

脳の持っているすごい能力については、まさに最先端の研究です。ぼくらもテレビ番組などを通じて「へえ、すごいんだねえ」なんて人ごとのように感心してたりします。その神秘に最も触れる箇所はたいてい「障害を持った脳が、すごい才能をみせる」ところです。

目が見えなく、他にも多くの障害を持った少年が、音楽に関しては、一度聞いただけでほとんどを記憶してしまい、素晴らしい演奏で再現できたり、重度の自閉症の人が、信じられないような記憶力を示したり..

ある何かの能力を欠いている脳が、その代わり(それを補うように)別の素晴らしい才能をみせるというシーンにぼくらは感動します。一つの真実に触れた気がするからです。うっとりした気持ちで、テレビを消し、そおっとベッドに入ります。目覚めると、ちょっと世の中が明るく輝いて見えます。

「生きるって素晴らしい!」と大ざっぱに捉えるのも素敵ですが、ここはもう少し分析してみましょう。草原をスキップしてみせるのは、その後で。

ある脳の研究者の、次の言葉にヒントが隠されています。「能力というのは、互いに抑止し合っている..」

神さまがくれたとしか思えない能力を、ぼくらもまた(可能性として)持っているのです。能力は「存在していない」のではなく「解放されていない」のです。何かが能力を抑止しているのです。

「何かをする」ことは「何かをしない」ことでもあります。その逆で「何かをしない」ことが「何かをする」ことにもなるのです。

勉強、つまり日本語を介在させて英語を捉えることで、英語を英語のままに捉えることが出来なくなっているのです。“Apparently”は「1.(実際はともかく)見たところ、2.明らかに」ではないのです。“Apparently”は“Apparently”なのです。持っている匂いとか、そういったものが違うのです。

タチの悪い冗談なのか?

きっと、そうなのでしょう。でなければ、英語の先生がまともに英語を使えない(事実は巧妙に隠されているものです)なんてことにはならないはずです。英語「産業」がこんなにも大きくなるはずもありませんし、「本当の英語の勉強のやりかた」が本の数だけあるなんてこともあり得ません。TOEICで満点とっても、ペーパーバックもロクに読めないなんて悲劇も、起こり得ません。

ユーモアの精神を見せ付けたいのは分かりますけど、付き合わされるぼくらはたまったものではありません。全然面白くありませんし、奪われるものも多すぎます。

「勉強などするもんじゃないって? でも!」と言いたいのでしょう? さ、次のページ(→するな、英語の「お勉強」)に。

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